2022 第35回スーパーラウンドラリー Day3

朝から刺すような日差しと青空が広がった、昨日の大雨がうそのようだ、

日が暮れてからの到着だったのでどんな場所かわからなかったが、宿の前には静かな海が広がる。

宿からの眺めが素晴らしい。

天気は回復したが、初日からの頭痛は少しも晴れる気配がない。

今回こそコロナになったのではないだろうかと不安で仕方がなかった。

雨具を乾かしたり

外では既にバイクの整備が始まっている。

ドカティ勢は恒例のオイル交換、私も良いタイミングなのでベスパのオイル交換を行うことにした。

私のベスパはアイドリングに騒々しいガラガラ音が出ていたが、アクセルをあおると音が消えるので、エンジンからの異音ではなさそうだなぁと判断する、排出したオイルも比較的きれいだったので安心した。

あとでわかるのだが、この音はファンカバーに留めていたエアインテークのボルトが緩んでいたのが原因だった、なんてことない理由だが、ラリー中は全く気付かなかった。

3日目の午前中はトランポ当番だ、ベスパを積んで準備万端

ラリー中必ず何らかの形で役割が回ってくるオフィシャル、いつトランポ当番をするかも重要なので、くじ引きに頼らず率先してトランポ当番をリクエストするようにしている。

僕の場合は、バイクと自分を休ませて一旦気持ちを切り替えるため、なんとなくゲーム展開が見えてきた3日目の午前中にトランポ当番を行うようにしている。

色々な考え方があるだろうけど、スタートの1区目とか、最終日の午後とか、この辺りにトランポ運転って言うのは色気がないというか、なんというか、、、、。

しかし3日目の午前中は今回一番眺めが良いコースで、本当はバイクで走るべきだったが、昨日の強行軍もあったので結果的には良かったかもしれない。

I藤さんのイエローデスモが不調との事で一緒にトランポに乗っての移動となった。

そして定刻通り本日も競技が開始、

オフィシャルを見送ってボチボチ本体も出発というところで、てっちゃんがバイクのカギが無い事に気づき、みんなで探すが、、、、なかなか見つからず。

リアオフィシャルに後を任せて出発するのだが、ナビの設定を変更せずそのまま出発してしまった私はI藤さんと共にコースをしばし逆走することになる。

去年とまったく同じミスをやらかしてしまった、去年も折り返しがある区間でトランポ当番になったのだが、ナビの設定を変えなかった為、来た道を戻っていることに暫く気づかなかったのだ。

結局本体と合流するために高速を走って目的地へ向かうことになった。

トランポから海岸線の景色をたのしむつもりだったが、大失敗に終わった。しかしいい天気だ、、、。

午前中の競技が終了、富山県新新川郡ヒスイ海岸沿いの料理旅館で昼食。

美味しい海鮮丼とあら汁を食べた。

昼食を済ませて、建物の裏にある海岸に出てみた、まだ夏のさなかなのだ。

海は海なんだが、見慣れた海と違う海は遠くに来ていることを実感させる。

私はトランポ当番を終えて、4区から競技を再開した。

ベスパはほぼ一発でエンジン始動。

始動は良いがまったく思うように走らない、これはバイクが悪いわけでなく、キャブのセッティングが出せていない自分に問題があるのだ。

4区先行オフィシャルが出発。

オフィシャルの10分後にスタート、4区は県道8号を富山湾左手にひたすら走るルート。

素晴らしい景色が広がっているが、それを楽しむ余裕などまるでない。

ベスパが止まらないようにひたすらアクセルワークに集中して、どんな風に走ったかほとんど記憶がない。

なんだかんだで順調に競技は進み、特にトラブルなく本体はこの日の宿に到着した。

今回でラリーの参戦は16回目になる。

これからも参戦はするつもりで、次はどのバイクで出ようか?どんな作戦で行こうか?だいたい3日目終わる辺りから次の事考えたりするのだが。

今回は来年の事など考える余裕は無かった、結局最後まで頭痛に苦しんで、

帰宅してからも頭痛が続いたので、初めてMRI撮ったりしてしばらく病院に通うことになるのだった。

輪をかけてショックだったのは500円玉大の円形脱毛症を発症していた事だ。

何が原因か?2日目の大雨か?理由はわからないけれど、相当なストレスがかかっていたのは確かだ。

その2日目の大雨は4日目のコースに大きく影響することになる。

4日目のコースに通行止め区間が発生し、3日目の夕食後コース変更が行われたのだ。

今やすっかりナビ便りになった私はこのコース変更を知らされかなりうろたえた、

体調不良がピークとなり一刻も早く体を休めたかったのだ、、、。

結局、仲間が休む時間を惜しんで新しいルートをナビダータ化してくれたことにより、翌日無事に競技を進める事が出来るのだが、

私は仲間の奮闘も知らず、明日はどうにかなるだろうと早々に床に就いた。

今やナビがあたりまえになったが、まだ私が挑戦し始めた頃は一部の人が試行錯誤してナビを使っていたのである、あの頃だったらどうなっていただろう?

普段であれば、こんなことはひとつのアクシデント=アトラクションとして楽しかったりするのだが、

今回はそういう余裕はまるでなかった。