コロナウイルスの影響により2年ぶりの本格的な開催となったグルッポRS第33回スーパーラウンドラリー。
開催間近の8月初旬、国内のコロナウイルス感染者数はうなぎ上りとなり、昨年よりはるかに深刻な状況となった。
今回こそ中止になるのではないか?という不安も杞憂に終わり、無事に迎えたラリー初日。
午前4時、スタート地点となった栃木県の道の駅には挑戦者19名が集合した。
今回は伴走するトランポが2台となり、7月に行われた結団式で決定した担当者が自分のバイクをトランポに積載していく。
2台体制にした理由は故障車へのフォローとラリーを円滑に進めることが目的となっている。
私は今回14回目の挑戦、いつもトランポの世話になる常連だが、3年前本番ギリギリで組み上げたHONDA CB50で参戦し、スタートして僅か20キロでエンジンストップ、そのままラリーが終わるまでトランポの運転をすることになった。結局初日からトランポが機能しなくり、他の参加者に多大な迷惑をかけてしまった。
私はトラブルメイカーで 今回の2台体制は非常にありがたい事だが、なるべくならトランポに乗る時間は減らしたいものだ。
空が次第に明るくなり始めた午前4時45分。3台の先行オフィシャルがスタートして、ついにスーパーラウンドラリーが始まった。
1年のうちの僅か4日間、ラリーの魅力に憑りつかれた年齢も仕事も様々な挑戦者たちが勝利を目標に1500キロ先のゴールを目指す。夢の様な4日間、果たしてどんなドラマが待っているのだろうか?
オフィシャルがスタート後10分を経過すれば競技者はスタート可能となり、15分後には全ての競技者がスタートする。先行オフィシャルが決められた区間内をどれだけの時間で走ったかを予測し、それと同じ時間で走るのである。早くても遅くてもダメ、シンプルなルールだがとても奥が深く、難しい。
10分が経過しボチボチ競技者がスタートし始めたころ、初参加の1台CB125がパンクしていることに気づき急いで修理を始めた。
チューブレスタイヤなのでさほど時間は要さないと思われたが、パンクの箇所を特定するのに手間取っている模様。
15分経過し、トランポへ積載しようという判断となったところで、あとはリアオフィシャルに任せ私はスタートした。スタートからのハプニング、ラリーらしい?幕開けだ。
道の駅をスタートして、先を走る黄色いドカと赤のグッチについてしばらく走る。2台はさほど早いペースはなかったが、それでも私のベスパにとってはついていくのがやっとだ。
ちょっと気を抜くと二人の姿は見えなくなってしまった。
これはかなり気合を入れて走る必要がある、これ以上のペースだとバイクが壊れるかもしれないが、このままでは毎回ビリになってしまうなと、昇る朝日を眺めながらこれからの4日間を案じた。不意にCB125が私の右側を矢の様な速さで追い抜いて行った、パンクの修理が間に合ったようだ。
一昨年今回とは別のベスパでラリーに挑戦し、2日目にマイヨジョーヌを獲得。結果は6位で終わったが、ベスパで優勝の可能性を感じ今回もベスパでの参戦となった。もっとも私の所有するバイクでラリーをまともに走ることが出来るのはベスパしかないので選択の余地もないのだが、、、。
今回のラリーはかつてないほど準備に時間をかけた、コースの予習、撮影ポイントもバッチリ予定を立て、どこで何を撮るかのシュミレーションもした、ヘルメットも新調して完璧な状態でラリーに臨んだ。 気持ちは準備万端だったが、バイクのスピードはどうにもならない、 先への不安を感じながら1区約52キロを走り終えた。
ここで早速私のベスパにトラブルが発生する、タイムチェックを行ってバイクを停めると、バイクの下から凄まじい勢いでオイルが漏れているではないか!!!
話には聞いていたが分離給油ベスパで起きるトラブルの一つ、オイルタンクの破損というやつだ。
まさかこのタイミングで破損するとは、、、。
バイクの下に広がる黒い円を見ながら、私はしばし呆然と立ち尽くしてしまった。
そんな私をよそに、ウタさんと今回初参加のIさんはこぼれたオイルをすぐさま拭き始め、残ったオイルがタイヤにかからないように細工を始めた。
私もいつまでも呆けてはいられない、オイルタンクが破損しても混合ガソリンにすればいいわけで、ここでおしまいではないのだ。
しかしテンションはダダ下がりである、バイクは遅いし、確実にどこかでリタイアするだろうなと、私だけでなく参加者誰もが思ったとことだろう。
騒ぎをよそに競技は進行する、定刻通り2区の先行オフィシャルがスタートした。
さてここから混合仕様となったベスパ、分離給油なのでビーカーは持っていないし、いざとなると正しい混合比がわからない!!
あれやこれや先輩の意見を聞き30対1で焼き付くことはないだろうとの結論に達し、ビーカーが無いのでオイルの量は目分量でと、正しいベスパ乗りが聞いたらあきれるような有様だ。とにかく携行缶に目分量でオイルを加えなんてことをやっていたらあっという間に次の区間のスタート時間となり、慌ただしくエンジンスタート!
ところが!今度はエンジンが掛からない、何度キックしても掛からない。
仲間に押し掛けを手伝ってもらってもエンジンが掛からない、ふと足元を見ると、、、。
ガソリンコックがオフになっていた、、、、。
トラブルですっかり舞いあがっていたのだ。気を静めコックをオン、あらためてキックするとエンジンは何事もなかったように目を覚ましたが、この時キックレバーに嫌な感触が、、、。
とりあえず、そのまま2区をスタート。2区は今回のラリー中最長区間となる77キロだった。
トラブルの動揺はなかなか収まらない、バイクにつけていたルート案内は落とす、タイマーは落とす、挙句の果てに10リッター入りのガソリン携行缶まで落とす始末。
後続の車に当たらなかったのは幸いだったが、自慢だった携行缶は見るも無残な姿になっていた。
このままではもっと大きなトラブルを起こすかもしれない、一度気を静めエンジンをかけようとキックするが、先ほどの嫌な感触、、、なんとレバー側のスプラインを舐めてしまいキックによる始動が不可能となったのだ。
混合ガソリン仕様となり今度は押し掛け仕様のおまけがついた、、、、、。
ここからどう走ったかほとんど記憶にないが、チェックポイントに着いた私は満身創痍だった。このレポートを書くにあたり膨大な量の画像をチェックしたが、この2区チェックポイントの画像は1枚もなかった。
続く3区は先行オフィシャル。いつ起きるかもしれないトラブルに対する不安で落ち着かないまま3区スタート。
こういう時にオフィシャル3台は非常にありがたいのだが、途中でバイクがエンストしたり、ミスコースでもたもたしていると、見かねた他のオフィシャルが先頭を走る様に道を譲ってくれた。
それはそれで十分プレッシャーだったが、県道2号檜原湖を過ぎそのまま西吾妻スカイバレーとなりしばらくくねくね道と格闘すると、なんとか走れそうだなと感じた。
間もなく右手に「県道線開通記念碑」が見えてくるところでガス欠になったので、正規のチェックポイント手前まだ8キロのところだったがその場をポイントにした。
偶然だがその場所は、10年前同じ場所でポイントとした場所であった。
当時私は36歳、あの日も同じような晴天だったなと感慨にふけっているとほどなくして競技者たちがゴールしてきた。
明らかに早いなと思ったが、そうでもないのだろう、私が先頭を走ったのでこの区間のオフィシャルタイムは通常より遅いのである。
ゴールしてくる競技者のバーコードを次から次へとチェックしていく。
しばらくしてトランポからウタさんのドカがエンジンブローを起こしたと連絡が入った。
走行中にバーンと大きな音がしてエンスト、その後キックがスカスカになりエンジンがかけられなくなったとのこと、、、。
トランポに積載されたドカとウタさんが到着した。
ピストンに穴が開いたと思ったそうだが、どうやらそうではなさそうである。いずれにしても再始動が困難な状況となったので、この後どうするか協議が始まった。
そこで出た案が2つ、ここでリタイアし競技終了までトランポを運転する、もう1つはトランポの1台を使ってここから自宅のある千葉県に戻り、別のバイクを載せて本体と合流するというもの。
グーグルマップでの計算では自宅へ帰って、本日の宿に戻るまで約14時間という結果が出たが、ウタさんはすぐさま千葉の自宅へとトランポを走らせるのだった、、。
ラリーは普通のツーリングより過酷で、バイクには普段とは違うストレスがかかるわけで、初日にトラブルが集中するのはある意味当たり前なのだ。
先ほどまでは自分が一番最悪な状況だと思っていたのだが、ラリーはこれだからわからない。
ウタさんを見送った後4区をスタートした。
ここまでスタートしてから一切水分を摂っていない、それどころではなかったので気にしていなかったが、落ち着いてくると一気にのどの渇きが襲ってきた。
オフィシャルを終え、峠の登りも無事に走り切ったが、私がまだベスパを乗りこなせていなくて、先が見えない状況は変わりがなかった。
競合車は250㏄のドカティの単気筒や125㏄のホンダ等だが、信号で一緒にスタートしてもすぐに引き離されていく。最小排気量72ccのヤマハにも抜かれていく、峠に差し掛かるとあっという間にソロツーリングになるのだ。
まぁスピードを競うわけではないが、あまりに遅いようでは時間のコントロールが出来ない。
スタートからトラブルで舞いあがってしまった私は、とりあえずは完走する事を目標にした。
4区63キロを走って昼食は山形県上山市にある「こんにゃく番所」
早朝から走り続け皆さん少々お疲れの様子です、私が一番疲れてましたが、、、、。
エイプベースのボアアップバイク、楽しくて少々回しすぎ??
こんにゃく番所に来たのは2回目、料理はすべて蒟蒻で出来ているそうでとても美味しかった。初めて来た時には気づかなかったこの料理のすばらしさに気づき、感動してしまった。
午後からはトランポが一台になったので、中は過密状態。青いドカティも今回初参加です。
5区はリアオフィシャルで最後の出発だったが、いい加減な割合で作った混合ガソリンのツケが現われだした。エンジンは掛かるのだが、吹けないのである。エンストするかしないかのところでアクセルをじわじわ開けていき、吹け上がるのをしばらく待たないといけない、これがなかなかしんどい。オイルの量が不適切なのは明らかで、計量カップの入手が急務となった。
この区間もどこで写真を撮ろうか、あらかじめシュミレーションしていたが、走ることに一生懸命でそれどころではなかった。
5区47キロ
5区ポイントにて
出走バイクの中で一番古いバイク、ドカティモンッアJr、毎回上位に入るバイク。175㏄でとても良く走るラリーの手本の様なバイク。
6区は約59km。
ポイント手前でホームセンターを見つけ、チェックポイントに入ってからホームセンターまで戻り、ここでやっと目盛りが着いたボトルと2ストオイルを購入、ようやく一安心。しかしこの後の7区のスタートが1番きつかった。
ポイントとなったセブンイレブンからの県道344号、この県道はスタートしてからしばらく緩い登りとなり押し掛けができなかったのである。
そこで真室川に掛かる橋の手前を左に折れるとその先が緩い下りになっていたので、正規のコースを外れてそのわずかな下りへ、、、。
下りは30m位の距離だったがそこでなんとかエンジン始動、ひたすらゴールを目指した。
途中鳥海ブルーラインから大平山荘までのルートは過去にも何度か走ったが、目の前に広がる雄大な景色、最高である。バタバタでスタートしたラリー一日の疲れを癒してくれるかのような素晴らしい風景が延々と続く。
なんとか7区間を走り終え 山形県鳥海山の4合目にある大平山荘に到着した。
ここに来たのは12年ぶりになるだろうか?
前回来た時はまだ2回目の挑戦だったと思うその時はドカティマーク3で参加した。
この宿をフロントオフィシャルで出発し数キロ先でプラグホールがダメになってリタイアしたのだ。
奇しくも明日同じ2日目、ここからのスタートはフロントオフィシャル、偶然と言え嫌な予兆である。
鳥海山からの眺めを暫し楽しんだ後、明日への競技に向けてベスパの整備にとりかかる。
垂れ下がったキックペダルは右カーブで削れ、外さないと危険な状態だった。
I川さんが中心となって仲間たちがキックを外そうとしてくれたが、ボルトが抜けずびくともしない。
円滑材を吹き付けてじわじわ力を入れると、少しずつボルトが浮いてきたが外れる様子はなかった。
無理な力を加えて壊してしまうのは良くないと、ナットを外し振動でボルトが緩むのをまつことにした、当然走行中にキックペダルが落下しないようワイヤーで固定した。
初日は栃木県の喜連川から約440キロの移動、区間数も多く長丁場だったが、スタートから色々ありすぎてあっという間に終わった感じがした。
この日の結果発表は翌日に持ち越され、私は夕食後すぐさま布団に倒れこんだ。
早朝からのスタートと2年ぶりのラリーで皆さんも早々に床に就いたのではないかと思う。
21時を過ぎたころだろうか?
自宅へ戻りCB125を積載したU代さんが14時間かけて宿に到着。
初日から長距離を移動し、早速トランポ2台体制が役立つこと実証したU代さん。
私は疲れ果て、寝ぼけたまま「お帰りなさい」と声をかけるのが精いっぱいだった。